先生のレッスンでは、動きのあるアーサナも取り入れるし、座ったまま安定して過ごす時間も意識してつくられている。座法を意識する時間になって最初に気づかされるのは、ただ動かずにじっと座っているだけのことが、思っていたよりずっと難しいということだ。体が安定していないと、呼吸にも意識にも集中しにくくなる。動きのあるポーズをこなしているときにはあまり感じない種類の難しさが、そこにはある。
『ゲーランダ・サンヒター』の第二章は、その32種のアーサナにあてられている。
面白いのは、32という数がどこから出てくるかだ。第二章の二節によれば、アーサナはそもそも生き物の種類と同じ数だけあるとされ、その中で84種が重要とみなされる。そのうえで「この生と死がある世界においては、その中の32種のアーサナが特に良いとされる」と続く。本書の「単語の意味」欄は、この「良い」にあたる語に「十分である」という訳をあてている。無数にあるものから84を選び、さらにそこから、この世界で生きる人間には32で足りる、という絞り込み方だ。
本を確認すると、その32種の顔ぶれは次のようになっている。
1. シッダーサナ 2. パドマーサナ 3. バッドラーサナ 4. ムクターサナ 5. ヴァッジュラーサナ 6. ソヴァスティカーサナ 7. シンハーサナ 8. ゴームカーサナ 9. ヴィーラーサナ 10. ダヌラーサナ 11. ムルターサナ(死体) 12. グプターサナ(秘密) 13. マッツヤーサナ(魚) 14. マッツェーンドラーサナ 15. ゴーラクシャーサナ 16. パシュチモーッターナーサナ(前屈) 17. ウッカターサナ(中座) 18. サムカターサナ(困難) 19. マユーラーサナ(孔雀) 20. ククッターサナ(鶏) 21. クールマーサナ(亀) 22. ウッターナ・クールマーサナ(伸ばした亀) 23. ウッターナ・マンドゥーカーサナ(伸ばしたカエル) 24. ヴルクシャーサナ(木) 25. マンドゥーカーサナ(カエル) 26. ガルダーサナ(鷲) 27. ヴルシャーサナ(牡牛) 28. シャラバーサナ(バッタ) 29. マカラーサナ(ワニ) 30. ウシュトラーサナ(駱駝) 31. ブジャンガーサナ(蛇) 32. ヨーガーサナ
著者の解説によれば、最初に挙げられる10種のほとんどは、15世紀の別のハタヨーガ文献『ハタヨーガ・プラディーピカー』にも共通して登場するという。本書はこの対応を一覧表にしていて、32種のうち18種について『ハタヨーガ・プラディーピカー』の該当箇所が併記されている。しかもその大半は前半に固まっていて、最初の12種は13番目を除いてすべて対応先を持っている。後半になるほど『ゲーランダ・サンヒター』独自の姿勢が増えていく。
そして最初の10種のうち、シッダーサナからソヴァスティカーサナまでの6つは、座るための姿勢として読める。本書が添えている語釈を見ると、シッダーサナは達人座、パドマーサナは蓮華座、ヴァッジュラーサナは金剛座、ソヴァスティカーサナは十字のポーズ。バッドラーサナとムクターサナには「座」の字こそ入らないけれど、祝福のポーズ、自由なポーズと、いずれも体を大きく動かす種類の名前ではない。動物や自然物を模した名前を持つ姿勢(シンハーサナ以降)が並ぶより前に、この6種がまとめて置かれている。この並び順自体が、座って安定することをまず土台として置く、という構成を示しているように読める。
32種を列挙し終えたところで、これらのアーサナによって「生と死ある世界における達成がもたらされる」という一文が置かれる。ここまでが列挙で、この先は一つ一つのアーサナが順番に説明されていく。この一文は原典が述べる伝統的な主張であって、実際にそうした効果が得られるかどうかを保証するものではないと理解しておきたい。
32種のうち座法にあたるのは6つだけで、残りの大半は動物や物の形を模した、動きや形のある姿勢だ。数だけで見れば座法は少数派になる。それでも、その少数派が真っ先に置かれているという事実に気づいたとき、アーサナというものを、体を大きく動かして鍛えるための技法として捉えるより先に、まず安定して座っていられる状態をつくるための技法として捉える方が、原典の意図には近いのかもしれないと思った。
これは、現代のヨガのレッスンで動きの大きいポーズに取り組んでいるときの感覚とは、少し違う。ダイナミックなポーズには、体を鍛える、柔軟性を高める、といった分かりやすい目的がある。一方で座法には、そうした分かりやすい成果が見えにくい。じっと座っているだけなので、傍から見ても何をしているのか分かりにくいし、やっている本人としても、最初のうちは「これで何が変わるのか」がつかみにくい。
けれど実際に座ってみると、この「ただ座る」ということ自体が、思っていたよりも難易度が高い。体のどこかに余計な力が入っていたり、姿勢が微妙に崩れていたりすると、それだけで呼吸が浅くなったり、意識が体の違和感の方に引っ張られたりする。座法が安定していて初めて、呼吸や意識をその先に向けていく余裕が生まれる。逆に言えば、座法が安定していない状態で呼吸法や瞑想に進もうとしても、土台がぐらついたまま次の段階に進むことになってしまう。
『ゲーランダ・サンヒター』を読んでから、レッスンで座法を意識する時間の位置づけが、以前より腑に落ちるようになった。それは呼吸法や瞑想の準備運動というより、その先に続く実践全体を支える土台をつくる時間なのだと思う。動きのある32種のアーサナの中に、静かに座るための姿勢がしっかりと組み込まれているのは、体を動かすことと心を静めることが、この文献の中では最初から一つながりのものとして設計されているからなのだろう。