『やさしく学ぶYOGA哲学』は、ハタヨーガの原典とされる三つの文献——『ヨーガ・ターラヴァリー』『ゴーラクシャ・シャタカン』『ゲーランダ・サンヒター』——を通してハタヨーガを解説している。三つとも「ハタヨーガの聖典」とひとくくりにされがち。でも、読んでみると同じことを言っているわけではない。修行の体系も力点の置き方もそれぞれ違う。読み終えて、自分の中でははっきり好みが分かれた。一番惹かれたのは『ゲーランダ・サンヒター』だった。
『ヨーガ・ターラヴァリー』は比較的短く、呼吸や感覚、心が静まっていく過程から瞑想の深まりへ、という流れに重心がある印象で読める。『ゴーラクシャ・シャタカン』は六支を軸に、ナーディやプラーナ、チャクラといった伝統的な身体観を経て瞑想へ進む。技法そのものも一通り並んではいるのだけれど、読んでいて頭に残ったのは、体の内側をどう捉えるかという枠組みの方だった。
一方『ゲーランダ・サンヒター』は、浄化法(シャットカルマ)・アーサナ・ムドラー・感覚の制御(プラッティヤハーラ)・呼吸法(プラーナーヤーマ)・瞑想(ディヤーナ)・サマーディという七章立てになっていて、ヨガの修練を実際にどう進めるかという、より実践的な構成になっている。
自分がこの本を好きになったのは、単純な話で、体系的にヨガの修練をどう行うかという内容だからだと思う。三典籍にはそれぞれ独自の魅力があるはずだけれど、思想を説明されるより順序立てて積み上げていく構成の方が今の自分には合っている。
読んでみて感じたのは大きな発見というより実践を見る解像度が上がったということ。
これまではアーサナも呼吸法も瞑想もなんとなく一つのまとまりとして捉えていた。今日はこれをやる、次はこれをやる、というくらいの感覚だった。『ゲーランダ・サンヒター』の七章立てを知ってからは、今取り組んでいることが、浄化なのか、アーサナなのか、感覚の制御なのか、その中のどの段階にあるものなのかを少し意識できるようになった気がする。
大きな枠組みが変わったわけではない。同じ景色の解像度が少し上がった、という感じに近い。以前の記事で書いた「輪郭が生まれた」という感覚に近いけれど、今回はもう一段細かく練習の中の「今どの段階にいるか」まで見えるようになった、という違いがある。
三つの聖典の何が違うのかと聞かれたら、扱う思想やテーマの違いよりも先に自分にとってどれが今の実践に一番使えるかという基準で答えるようになった。今のところ、その答えは『ゲーランダ・サンヒター』だ。
これから三典籍を読もうとしている人がいたら、内容の難易度や有名さで選ぶより、自分が今どんな実践スタイルを求めているかで選ぶのも一つの手だと思う。思想から入りたいなら『ゴーラクシャ・シャタカン』、瞑想の深まりに関心があるなら『ヨーガ・ターラヴァリー』、実際の修練の進め方を知りたいなら『ゲーランダ・サンヒター』、という感じで。