ヨガを「哲学」から学び直す — 向井田みお『やさしく学ぶYOGA哲学』を読んでみた

先生からヨガを学んで1年経った。

毎回のレッスンは実践中心。先生の指示に合わせて体を動かし、呼吸を合わせ、その場でしか掴めない感覚を積み重ねていく。アーサナ(ポーズ)も呼吸法も基本的にはそうやって言葉よりも先に体で覚えている。

向井田みお先生の『やさしく学ぶYOGA哲学 ハタヨーガ 基礎と実践』を手に取ったのは、その講座で文献として紹介されていたから。ハタヨーガの主要な原典とされる『ヨーガ・ターラヴァリー』『ゴーラクシャ・シャタカン』『ゲーランダ・サンヒター』という三つの文献をもとに、アーサナや呼吸法、瞑想までを体系立てて解説している本だという。

派手な発見があったというよりは、地味だけど大事なことが印象に残った。

アーサナも呼吸法もこの本の中では体系的に順を追って並んでいる。原典は一節ずつ区切られていて、それぞれにサンスクリット語の原文、その読み方、日本語訳、単語ごとの意味、そして著者による「やさしい解説」が順番に並んでいる。原文を一語ずつ割ってから解説へ進む作りなので、その技法が全体のどこに位置づけられ、何のために行われるとされているのかを順番に追っていける。

これは地味だけれど自分にとっては大きいこと。

レッスンの最中は体を動かすことに精一杯で、「これは何のための動きなのか」までゆっくり考える余裕はあまりない。教室を出る頃には、体の感覚の記憶の方が先に薄れていって後に残るのはなんとなくの印象だけということも多い。実践中心のレッスンにはそういう性質がもともとある。

本はそれとは違う。同じページを何度でも開けるし、今習っている技法が全体のどこに位置するのか、何度でも確認できる。ページをめくりながら「ああ、先生が言っていたのはこういう意味だったのか」と、レッスンの中で断片的に聞いていた言葉が少しずつ一つの流れとしてつながっていく感覚があった。

そもそも体の技術は言葉だけでは身につかない。何度も体を動かし感覚として覚えていくしかない部分が確かにある。だから教室での実践は欠かせない。

けれど感覚だけに頼っていると、自分が今何を練習していてそれが全体のどこに位置するものなのかという輪郭は案外ぼやけたままになりやすい。体は覚えているのに言葉で説明しようとすると急に心もとなくなる、というようなことが起きる。

この本を読んで、初めてそこに輪郭が生まれた感じがした。

教室での実践と本で得られる体系的な理解はどちらか一方だけでは足りない。感覚だけでは自分が今何をしているのかの輪郭を持てないし、知識だけでは体でわかったことにはならない。その二つがそろってようやく一つの理解になる。

本を読んで言葉や体系を先に知っておくと、教室で先生から言われることの意味がもう一段深く入ってくる。先生と同じ言葉を共有した状態で教えてもらえることは、思っていた以上に大切だったのかもしれない。

同じように実践中心のレッスンでヨガを習っている人にとっては、こうした本を並行して読んでおくことは思っている以上に効果があるように思う。体で覚えることと言葉で理解することはどちらか一方を選ぶものではなく、両方があって初めて自分の練習になっていくのだと思う。