昔から伝わる呼吸法にはどんな種類があるのか

レッスンの後半には、アーサナを終えたあとに呼吸法だけをやる時間がある。何をやるかは回によってかなり変わるけれど、何回もやっているうちに、いくつかは名前まで覚えてしまった。喉の奥で静かに音を立てながら息をするウッジャーイー、舌を出して息を吸うシータリー、蜂の羽音のような音を出すブラーマリ。サンスクリット語の技法名をほとんど覚えない自分にしては、珍しいことだと思う。

ところが、名前とやり方は覚えていても、それぞれが何のための呼吸法なのかと聞かれると、かなり怪しい。シータリーについては、先生が「冷やす」と言っていたような気がする。ウッジャーイーについても先生はいろいろ説明していた気がするけれど、まったく覚えていない。何回も繰り返しているのに、意味の方はほとんど手元に残っていないことになる。

本書の『ゲーランダ・サンヒター』第五章には、この三つを含めて八つの呼吸法が出てくる。今回は、その八つがそれぞれ何のための呼吸法として書かれているのかを、自分がやっている三つを中心に読んでみた。

八つの名前は、前に一度並べていた

実を言うと、八つの名前は記事12で一度並べている。そのときは、鼻の左右を使い分けるもの、喉を使うもの、舌や口を使うもの、強い呼吸を速く繰り返すもの、音を伴うもの、というふうに、体のどこをどう使うかで性格が違う、というところまでで止めていた。一つずつが何を狙った呼吸法なのかには、ほとんど入っていなかった。

八つは第四十六節にまとめて挙げられていて、訳文の順に、サヒタ、スールヤベーダナ、ウッジャーイー、シータリー、バストリカー、ブラーマリ、ムールチャー、ケーヴァリーとなる。本書はこれを段階とも難易度の順とも言っておらず、単に八つを列挙している。解説によれば、呼吸法のことをクンバカ(保息)と呼ぶことがあり、この節でも八つは「八つのクンバカ」と表されているという。

なお、記事12は第五章の冒頭にある対照表に沿って書いたので、順番がこれと少し違っていて、冷却の呼吸も「シートカリー」と書いていた。本書の中でも、対照表と本文で順番や表記が揺れている。この記事では本文の方に従う。

もう一つ、自分が毎回のようにやっている呼吸法は、この八つの中にはない。鼻の左右を交互に使うナーディの浄化で、本書でこれにあたるものは、八つの手前に置かれている。第三十三節は、はじめに気の通り道を浄化してから呼吸法は為されるべきだ、としている。八つはその先にある、という並びになる。

本書の言葉で並べ直してみる

八つの節をひととおり読んでみて、それぞれが何のためと書かれているかを拾っていくと、言葉がいくつかの方向にまとまって見えてきた。ここからの分け方は自分が読んで立てたもので、本書がこう分類しているわけではない。

一つ目は、体を温める方向。スールヤベーダナは「太陽の呼吸」という見出しで、第六十節の訳文は、体の働きがおへその根にある太陽とつながっているとする。第六十三節の訳文は、この呼吸法は潜在的な力を目覚めさせ、体の火の力を上げる、と書く。単語の意味では、潜在的な力に「クンダリー」の名前があてられている。バストリカーは「ふいごの呼吸」で、訳文は鍛冶屋のふいごのように急いで何度も息を出し入れする、というものだ。解説はこれを、体の熱を上げる火の呼吸と呼ばれることもあると紹介し、潜在的な力を覚醒させるための呼吸法だとする。この二つでは、熱と、記事17で読んだクンダリニーの目覚めとが、組みになって書かれていた。

二つ目は、冷やす方向で、こちらにはシータリーが入る。見出しは「冷却の呼吸」で、解説は、体の熱を下げる呼吸法といわれる、と書く。

三つ目は、心を静める方向。ブラーマリは、耳をふさいで内側から立ち上がる音を聞いていく呼吸法で、第七十七節の訳文は、ブラーマリを達成することはサマーディ(深い瞑想)を達成することでもある、とまで言う。ムールチャーは見出しこそ「気絶の呼吸法」と物騒だけれど、訳文は、ほかの対象から心を離して心の静けさを楽しむようにする、と書き、心が真我に一致して至福に至る、と続く。

残るサヒタとケーヴァリーは、温度や静けさよりも、マントラ(聖音)と組んでいることが目立つ。サヒタには、マントラを用いるものと用いないものの二通りがある。ケーヴァリーはマントラを唱えながら行う呼吸法として書かれている。サヒタの名前は、第五十八節の単語の意味では「意識的な左右交互の呼吸」と説明されていた。

こうして並べてみると、本書は呼吸法の意味を、温める、冷やす、静める、という言葉で語っているように見える。ただ、読みながら気になったのは、その言葉がどこに書かれているかだった。スールヤベーダナの火は訳文に書かれている。けれど、シータリーの「冷やす」は、見出しと解説にはあるのに訳文には出てこない。この違いは、自分がやっている三つを読むときにも効いてきた。

自分の三つを読む

まずウッジャーイー。見出しは「勝利の呼吸法」で、喉を使う呼吸法として書かれている。訳文では、喉の締め(ジャーランダラ・バンダ)と保息が組まれていて、第六十五節には、抵抗なく、快適にできるところまで息を保持する、という限度の書き方もある。意外だったのは、自分にとってウッジャーイーのいちばんの特徴である「音」が、訳文のどこにも出てこないことだった。音が出てくるのは解説の側で、解説が引く『ハタヨーガ・プラディーピカー』の方法が、微かな音を立てる書き方になっている。さらに別の箇所の解説は、震えるような音を出すことが大事で、その音を自分で聞くことで心を集中させ、静めることができる、と書いている。

ウッジャーイーには、もう一つの顔もあった。第六十六節の解説は、左の鼻腔を冷たさと結びつける考え方から、この呼吸法で体が少し暖かくなる、と説明している。つまり本書の中のウッジャーイーは、心を静める呼吸法でもあり、体を温める呼吸法でもある。先生がいろいろ言っていた気がするのに一つも覚えていないのは、もしかすると、一つの呼吸法にいくつもの意味が書かれているせいもあるのかもしれない。

次にシータリー。訳文では、舌を使って息を吸い、短い保息を含む呼吸法として書かれていて、効き目として、未消化、粘液、胆汁の問題が克服されるという。体を冷やすという言葉は、先ほど書いたとおり、見出しと解説にしかない。解説は、水分を含む舌を通すことで空気が冷やされる、エアコンと同じしくみだと説明している。これは著者による現代的な説明で、自分はそれを確かめたわけではない。先生の「冷やす」は、本書の見出しとも解説ともよく合っている。

最後にブラーマリ。記事19でも書いたけれど、『ゲーランダ・サンヒター』のブラーマリは、耳をふさいで、内側から聞こえてくる音を聞く呼吸法で、蜂の羽音は聞こえてくる音の一つとして出てくる。自分のレッスンでは、蜂の羽音は聞くものではなく、自分で出すものだ。音を出すやり方は、解説が引く『ハタヨーガ・プラディーピカー』の側に書かれている。

ここまでに書いたのは、八つの呼吸法を本書がどういうものとして説明しているかで、やり方の手引きではない。とくに、急いで何度も繰り返す呼吸や、息を止める工程を含むものは、読んで試すものではなく、指導者に見てもらいながら教わるものだと思う。自分も先生から、苦しくなったらやめるように言われていて、実際にそうしている。

繰り返しで身についたのは、入り口の方だった

三つを読み終えて、自分のレッスンと並べてみると、重なっているところとずれているところが、わりとはっきり分かれた。

重なっているのは、喉で音を立てる、舌を出して吸う、耳をふさいで音を出す、という、それぞれの呼吸法のいちばん目立つ動作だ。ずれているのは、まず保息で、本書の訳文では三つとも息を止める工程を含むけれど、自分のレッスンでは三つとも、まだ止めていない。このあたりは記事19で書いたとおりで、止める工程はあとから加わっていくものだと自分は思っている(これは自分の見込みで、先生にそう言われたわけではない)。もう一つは音で、ウッジャーイーもブラーマリも、自分がやっている音の出し方は『ハタヨーガ・プラディーピカー』の書き方に近い。ただ、それで自分のレッスンの源流がそちらだと言えるわけではない。言えるのは、本書が引いている二つの原典を並べると、そちらの記述に近い、というところまでだ。

そう考えると、何回も繰り返して身についたのは、呼吸法の入り口の部分だったのかもしれない。喉の音や舌の形は、体が覚えている。けれど、本書がその先に書いている意味、つまり温めるのか冷やすのか、心を静めるのか、という話は、繰り返していても体の方からは入ってこない。意味が怪しかったのは、練習が足りなかったからというより、意味が置かれている場所が、体で覚えた部分とは別のところにあったからなのかもしれない。

しかも、その意味の置き場所は、本書の中でも一か所ではなかった。スールヤベーダナの火のように訳文に書かれているものもあれば、シータリーの「冷やす」やウッジャーイーの「暖かくなる」のように、見出しや解説にしか出てこないものもある。ウッジャーイーの音のように、解説が引く別の原典の側に書かれているものもあった。自分が今回知った「意味」の多くは、原典そのものというより、原典を読み解く著者の解説に支えられている。それが悪いということではなく、どの言葉がどこから来ているのかを、知った意味と一緒に覚えておきたいと思った。

ちなみに、先生が呼吸法全体について話していたのは、呼吸のコントロールを通じて自律神経にアクセスする、という説明だった。本書の温める、冷やす、静めるとは、ずいぶん違う言葉で語られていることになる。この説明が医学的にどこまで確かめられているのかを、自分は調べていない。どちらが正しいという話ではなく、同じ呼吸法が、言葉によって違う姿で説明されているということなのだと思う。

効き目の並びは、呼吸法ごとに違うわけではなかった

八つを読んでいて、もう一つ気づいたことがある。温める呼吸法と冷やす呼吸法なら、効く先も違いそうなものだけれど、本書に書かれている効き目は、思ったほど分かれていなかった。

体を少し暖めるとされるウッジャーイーの訳文には、粘液に関する病気、お腹にガスがたまること、未消化がなくなる、とある。体の熱を下げるとされるシータリーの訳文には、未消化、粘液、胆汁の問題が克服される、とある。温度の向きは逆なのに、未消化と粘液は両方に出てくる。「老いと死」も、ウッジャーイーの第六十七節とスールヤベーダナの第六十二節の両方に出てくる。バストリカーは、病と苦悩がなくなり、日々健康になる、と書かれている。

これを読むかぎり、本書の効き目の書き方は、呼吸法ごとに別々の効き目を言い分けているというより、同じような不調の並びが、それぞれの呼吸法のところで繰り返し出てくる形に近いように見える。ただ、これは八つの節を読んだ範囲での自分の印象にすぎない。どの効き目も原典がそう書いているということで、この記事がそれを請け合えるものではない。体に不調があるなら、それは呼吸法で治そうとするより、医療の専門家に相談することだと思う。原典の効き目の主張をどう読むかは、別の記事であらためて考えたい。

次からは、意味を意識してやってみる

題名の問いに、本書に沿って答えるとしたら、こうなると思う。『ゲーランダ・サンヒター』には八つの呼吸法があり、その手前に気の通り道の浄化がある。本書は八つを段階として並べているとは言っておらず、体を温めるもの、冷やすもの、心を静めるもの、マントラと組むもの、と、何のための呼吸法かという点でそれぞれ違う性格を持っている。ただし、その「何のため」の多くは訳文よりも解説の言葉で語られていて、効き目の並びは呼吸法どうしでかなり重なっている。

自分にとっての収穫は、名前とやり方しか知らなかった三つに、本書が書いている意味がついたことだった。ウッジャーイーは音を聞いて心を静める呼吸法であり、体を温める呼吸法でもある。シータリーは体を冷やす呼吸法。ブラーマリは、『ゲーランダ・サンヒター』では音を聞いていく呼吸法で、その先にサマーディまで置かれている。

もちろん、ここで知った意味は、先ほど書いたように、その多くが解説の言葉だ。シータリーが体を冷やすというのも、ウッジャーイーが体を温めるというのも、原典の訳文がそう言い切っているわけではない。それでも、先生が言っていたような気がする「冷やす」と本書の見出しが同じ方を向いていたように、レッスンで聞き流していた説明と本書の言葉とが、ところどころでつながり始めた感じはある。

次にレッスンでこの三つをやるときは、温めるのか、冷やすのか、静めるのか、を意識してやってみようと思う。それで体の感じ方が変わるのかどうかは分からない。けれど、何回も繰り返してきた動作に、本書が書いている意味を添えてみるくらいのことは、今の自分にもできそうだ。